令和6年 霜月

 45年前、本願寺伝道院での学びの中で今でも記憶に残る言葉があります。ひとつは大阪大学 社会学教授 大村英昭先生の「死ねない時代」です。もうひとつは指導員で寝食を共にしていただいた瑕丘大愚先生の「福社が栄えると国が滅びる」です。今日それらの事は現実となり私たちの前に大きな問題として立ちはだかります。医療技術の進歩、社会インフラの進化は病気を防ぎ、健康を維持するのに適した環境を生みだし、私たちの寿命は飛躍的に伸びました。社会福祉の充実は、貧困や介護など家族の手から国家の担う領域へと移っていきました。ここで大事なことを忘れてはいけません。国が私たちを支えるのではありません。私たちひとりひとりが国を作り支えているのです。
 長寿は喜ぶべきすばらしい恩恵です。しかし同時にそこには経済的不安や老病の苦悩を伴います。イソップ寓話の「アリとキリギリス」を思い出してください。将来に備えることの大切さを説いています。生老病死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦…私たちが生きていくうえで避けることのできない次から次へと起こってくる苦悩。お釈さまの教えはそれらの原因を明らかにし、そして解決し、私たちに平隠な救いをもたらします。
 悲観ばかりしていても解決はしません。私たちの未来は私たちが作っていくのです。よりよい未来のために…

11月

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

令和6年 神無月

 アジア初の東京オリンピンクを10日後に控え60年前の1964年10月1日、夢の超特急東海道新幹線が開業しました。高度経済成長の真只中、技術の粋を結集した新幹線はその象徴でもありました。そして開業以来60年間の永きに渡り乗客が死傷する事故はゼロ、その高い安全性を誇っています。そしてなんと延べ70億人の人々に安心安全で快適な旅や移動をもたらしてくれました。
 私自身、10年後の山陽新幹線開業後はずいぶんお世話になりました。京都本山、関東への出張、家族旅行など思い出が一杯です。
 開業から60年、いやその10年も20年も前より車両の開発、線路の建設工事に携れた方々、日々一日も欠かさず安全運行の為、保守点検に励まれた方々、すべての方に感謝申し上げます。
 東海道新幹線開業60周年おめでとうございます。

10月

  
  
  
  
  

令和6年 長月

 能登島の「向田火祭」は、手松明を投げて、高さ30メートルの大松明に点火。燃え尽き 倒れた方向で豊漁、豊作を占います。その様子を8月25日NHKは放送しました。
 震災で多くの住民が大きな被害に遭う中、とても祭りを行うことなど無理だという意見が大半をしめました。その中、唯一青年部だけが「一度祭りが途絶えると再開することが難しくなる。何よりみんなに元気を与えるために!」と立ちあがります。なかなか復興の進まない中、みんなの協力で祭りは大成功に終わりました。 人々の姿は笑顔と安堵と力に満ち溢れていました。
 祭りは一瞬で終わりますが、これから先震災を乗り越え、この地で生きていく人々にとって未来を照らす灯火(ともしび)となることでしょう。

9月

  
  
  
  
  

令和6年 葉月

 盛夏の中、パリ 2024オリンピック真盛りです。チームジャパンの大活躍、そして郷土の岡 慎之助選手の体操個人総合金メダルなど連日大盛り上がりです。今夜も眠れそうにありません。
 選手たちの奮闘する姿は私たち見る者にも大きな感動と勇気を与えてくれます。オリンピックの精神、その目的は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」です。
 オリンピック中もウクライナそしてガザへの攻撃は続き、尊い人命が今も奪われています。オリンピック選手ひとり一人の友情やリスペクトがこれからの平和な世界を作る力となり、その影響の輪が見るものすべての人々に広がり、戦争のない平和な世界が訪れる日を心より願いたいものです。

8月

  
  
  
  
  

令和6年 文月

 私たちにとって大切なものそれはたくさんあります。
平和・自由・平等・家族・空気・水・財産・健康・命・仕事……
でもその中でひとつだけ選べと言われたらどうでしょうか。やはり極まるところ「命(いのち)」なのでしょう。すなわち私たちにとって一番大切で失いたくないもの、それは「命(いのち)」なのです。その命を失う死は私たちにとって一番の苦しみであり悲しみなのです。
 私、そして私の大切な人の死は避けることはできません。私たちは別れて行く世界に生まれてきたのです。別れることは悲しくつらいことです。死んだらすべて終り、忘れられ消えていく「命(いのち)」。それでよいのでしょうか。悲しみに沈む私たちに「生まれる(往生)世界、また会える世界があるよ」それがアミダ仏の世界(浄土)なのです。
 私たちの幸せを願い懸命に生きた人、そして命が終わり浄土に往生された人々は仏となり、娑婆(しゃば)に残した私たちの生活や命や人生と共にあるのです。仏と共に歩む人生は大きな安心の中にあるのです。

  安楽浄土にいたるひと
  五濁悪世(ごじょくあくせ)にかへりては
  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のごとくにて
  利益衆生(りやくしゅじょう)はきはもなし 
              『浄土和讃』親鸞聖人

7月

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

令和6年 水無月

 仏教用語はどちらかというとネガティブにとらえられているように思われます。
 たとえば因果応報は「すべての出来事は原因によって生じた結果である」という意味ですが、「悪い事をしてバチが当たる」的な意味に…。良い種(因)をまく、良い行ないをする、日々精進の積み重ねは必ず素晴らい未来へと繋がって行くのでしょう。
 諸行無常は「すべてのものは移り変わり、生まれては消えていく、永遠に変わらないものはない」という意味ですが「はかない・衰える・消滅する」的な意味に…。新しい生命の誕生も成長も諸行無常です。
 老いも単に変化であり嘆いたり不安に思うことはないのです。若いころは忙しく充実していたけれど、まわりが見えず走り回っていました。今は時がゆっくりと流れ、身のまわりの事がよく見え、色々な事に気付かされます。
 あるがまま、そのままに人生を生活をポジティブに楽しみましょう。

6月

  
  
  
  
  

令和6年 皐月

 イギリスのことわざで『一日幸せでいたければ床屋に行きなさい。一週間幸せでいたければ車を買いなさい。一ヶ月幸せでいたければ結婚しなさい。一年幸せでいたければ家を買いなさい。一生幸せでいたければ正直でいなさい』というのがあるそうです。
 高校通算で140本のホームランを打ちその進路が注目されていた佐々木麟太郎さんは、進路の決断にあたり『一瞬の喜びではなく、一生の喜びを考えて選択しよう』と父と話したエピソードを紹介されていました。
私たちはその時々、その場その場の願望や欲望を叶えることに一喜一憂しているのかもしれません。望みは叶ってもまたあらたな欲望が沸き起こり止まることはありません。
 「小欲知足」 大切なことは足ることを知ることです。それぞれの人々が一生の幸せや喜びを得られるか否かは、自分自身の心の在り方、生き方にかかっているのではないでしょうか。

5月

  
  
  
  
  

令和6年 卯月

春爛漫 桜花咲き乱れ、光あふれ輝く季節になりました。
 暖かさに誘われ外出する機会も増え、お寺へ参拝される方々の数も目にみえて増えてきました。寺食堂、お経の会、法事、納骨堂へのお参りなど、皆様の姿は足取りも軽く笑顔にあふれています。
 悲しみをご縁としてお寺との結びつきをもっていただいている皆様おひとりおひとりが、悲しみや苦悩はあるけれど希望がもてるよう、すこしでもいい時間がすごせポジティブになれるよう『お寺として何ができるか』をもっともっと考え、様々なプランを具現化していきたいと思っています。

4月

  
  
  

令和6年 弥生

 人間の浮草のような姿をよくよく見ますと はかなきものはこの世の始めと終り 幻のような一生です ですから今だに万年も生きたという事を聞いたことはなく 一生はあっというまに終ります 今でもだれが百年生きることができるでしょう 私がさきかあなたがさきか今日か明日かわかりません 先立つ人は朝落ちた露よりも多いことです ですから朝は元気な顔をしていても晩には物言わぬ身となります 無常の風が来ますと二つのまなこを閉じます 一つの息が絶えます 元気な顔も変り 桃やあんずのような肌もその姿を失ったときは 家族や親類の者がどれだけ悲しもうと もうもとの姿にはかえりません 止むを得ませんので葬式をして 朝行ってみれば残っているのは白骨だけです 言葉では表すことのできない悲しさです このことをどれだけ学間や智識や教養で考えても解決はしません ですから人間のはかないことは老や若いという定めはありません すべての人がまさかという生死の問題を心にかけて アミダ仏の心にいだかれて念仏申しつつ この一生を安心して全うしてください あなかしこあなかしこ  (御文章)

 春のお彼岸です。彼の岸、仏様の世界、悟りの世界に帰られた大切な人々を想い合掌お念仏申しましょう。 南無阿弥陀仏

3月

  
  
  
  
  
  
  
  

令和6年 如月

 この度、能登半島地震により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 ウクライナでそしてガザ地区で戦争により今も多くのと尊い命が失われています。そして1月1日の能登半島地震により多くの尊い命が失れました。私たちひとりひとりに与えられた生命は言うまでもなく何より大切な唯一無二、絶対に失いたくないものです。
尊い命を失われた人々に思いを寄せるとともに自身の命についても真摯に向き合い、考えていかなければならないことと思います。
 私たちは有るものには当たり前になりその価値に気付かず、失って初めてその重要性に気付かされる…そういったケースがしばしばあります。やり直しがきくのであればそれもよいのでしょうが、命はそうはいきません。失うと二度と元には戻れません。一度だけの、限りある、必ず終わる生命、しかもいつ終るかわからない生命、大切に生きなければなりません。
 独生独死、独去独来、無有代者。誰も代わることのできない私の命、何を求め何の為に生きるのかをしっかりと考えていきたいものです。

※「人在世間愛欲之中。独生、独死、独去、独来。身自当之、無有代者」(人、世間の愛欲の中にありて、ひとり生まれ、ひとり死し、ひとり去り、ひとり来る。身みずからこれを受け、代わる者あることなし。)『無量寿経』の一節

2月

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

令和6年 睦月

あけましておめでとうございます

 令和6年、新しい年を迎え謹んでお慶びを申し上げます。継続すべき事はそのまま、リセットすべき事は切りかえ、本年も健康に留意してそれぞれの自分に最適なペースで精進していきたいものです。
 私自身振り返ると10代20代30代は何もわからずただ前へ前へ、40代50代60代は家族のこと特に子供のこと、仕事のことお寺の運営など色々と心配なこと・迷うこと・考えなければいけないことが一杯あり、ただバタバタと忙しく過ぎ去って行ったように思います。70代になりまかせられることは全てまかせ…というより体力も根気もなくなり気楽にやらせてもらっている今日このごろです。外のことを考えなくなると気になるのは自分ことです。体のこと、終り方、未来に託すもの…など、やはり心配と迷いは尽きません。
 私の好きなテレビ番組はNHKのドキュメント72時間です。3日間にわたり同じ場所でそこに集う人々の人情の機微に触れるという内容です。その情景の中、エンディングで流れる松崎ナオさんの「川べりの家」は深く心にしみこんできます。

   大人になってゆくほど
   涙がよく出てしまうのは
   1人で生きて行けるからだと信じて止まない

   それでも淋しいのも知ってるから
   あたたかい場所へ行こうよ

                      作詞・作曲 松崎ナオ「川べりの家」より

正善寺が「あたたかい場所」になれれば嬉しいです。

1月