2018年 12月

 かつて人々は儀式を行うために寺を訪れ、儀式を通して不安を取り除き、安心を得ていました。子どもの成長を願うとき、成人や結婚を祝うとき、自然の恵みに感謝するとき、亡き人を送るとき…儀式や祭りは当たり前のように私たちの生活の中に活きていました。
 今日、技術や医療が進み、かつての目に見えない不安や恐怖もその原因が明確になり科学的に対処できるようになってきました。その結果、儀式への関心は薄れ、寺を訪れる必要性もなくなってきたのかもしれません。
 しかし、寺本来の姿は人々が喜びや悲しみを語り合い、心を繋げ、人の輪を拡げるための場であるべきだと考えます。
「いつでも誰でも気軽に訪問でき、集まった人々の笑顔が溢れる」
正善寺はそんな集いの場であり続けたいと思います。

いつでも!誰でも!もっと気軽に!
法要や様々なイベントを機に、より多くの人がお参りできる寺となっていきますように…

落ち葉

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
   
  

 

2018年 11月

 先日、高校の同窓会が行われました。お世話なさった幹事さんたちのご努力のおかげで100名以上の参加があり、今までになく盛会でした。
 時は流れ姿は変われど、皆 面影はあり懐かしい再会です。日頃会う機会がある方や特に親交のある友人、よっぽど目立つ存在以外は、もちろん名前などほぼ浮かんできません。名札をのぞき込んでもピンとこない人も…どうもすみません。わかっているような顔をして話を楽しみました。
 当日は、17時集合でしたが通夜法要があり坊主のユニフォームで遅参しました。これが功を奏したのか?目印になったのか?次々と話しかけてくれました。その話の内容は過去の同窓会のそれとは違ってほぼ墓じまいや納骨堂の相談でした。そういうことが気になる年齢になったのでしょうか。未来に向かってとても楽しいひとときでした。
 また、年末には中学の同窓会が予定されています。スーツで行くか、袈裟で行くか…迷うところです。

落ち葉

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

 

2018年 10月

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 物心ついたときから母と二人暮らしで、父は亡くなったと聞かされていた。小さい頃は母子家庭で貧乏だったけど、太陽みたいな母の愛情をたっぷりもらって、陰のないこーんな私に育った。
 中2のとき、大家さんが「○○(父の名前)と言う人がタカちゃんを訪ねて来とるよ」と言いに来た。母は不在。どーしていいかわからなかった私は「私は知りません」と言ってしまった。そのまま父は帰ったらしい。そして、その出来事をなぜか何年も母に言えなかった。
 それから何十年か経って、父が亡くなったとの知らせが母に入った。何十年も音信不通で、私を育てるのに苦労のし通しだったのに、母は骨を引き取りお墓を建ててあげた。しかも夫婦墓で、いつか自分も入れるようにして。
 今、子どもを持つ身になって、やっとあのときの父の気持ちを思いやれるようになり、なんで会ってあげなかったんだろうかと後悔している。もう、取り返しがつかないからよけいに後悔が残る。
 今日はお彼岸。顔も知らない父のお墓参りに行ってきました。息子たちも帰省したらおじいちゃんのお墓参りをしてくれます。 
  まだ、母をしばらくそっちには連れて行かないでね。

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 以前KさんがSNSに投稿されたものです。ご本人の許可をいただき掲載させて頂きました。この投稿から2年程してお母様は亡くなられました。縁あってご葬儀のお手伝いをさせていただいたのですが、娘さんが「太陽みたいな母」と書いておられる通り、ご遺影写真のお母様は、今にも飛び出してきそうなくらい元気の良いお姿でした。娘さんのKさんもお母様に似て大変前向きで素敵なスーパーウーマンです。仕事に勉強に遊びに…今日も元気いっぱいの笑顔で突っ走っていることでしょう。

どんぐり拾い

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 9月

 高校で出会い50年間途切れることなくずっと付き合ってくれた友人が先月亡くなりました。ここ20年、彼との関係はもっぱら電話友達でした。どちらからともなく週に一度くらい連絡し、教育や政治の話・プロ野球の話・仕事のこと・家族のこと・互いの愚痴や自慢話など、どうでもいいような話が延々と続き、長いときは2〜3時間にもおよびました。でも、互いにいやな思いをした覚えがありません。見栄も体裁も何の遠慮もなく、馬鹿話のできる唯一無二の友人でした。
 酒が好きだった彼は、2年ほど前に腎臓と肝臓をやられ入院。大量の腹水がたまり苦しい日々が続きました。友人が誘ってくれ亡くなる前に見舞いに行くことができました。しかし、彼の意識はなく眠っていました。その顔は、私の65年の人生で見たことのない、息も詰まるような苦しみに満ちたものでした。2時間ほど待ちましたが、彼が目を覚ますことはありませんでした。その2日後、お姉様より知らせを受け、お通夜・葬儀のお手伝いをさせていただきました。お棺の中の彼は安らかな顔をしていました。
 損か得かで物事を決め行動する。そういった価値観が蔓延している現代社会にあって、彼は両親からいただいたお育てやご恩に報いるため家を守り、年老いた母を看るそのことを使命として爽やかに生き抜きました。
                                              南無阿弥陀仏

どんぐり拾い

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 8月

平成30年7月豪雨により
亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表し
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます

 今まで経験したことのない厳しい夏となりました。被災された方々には筆舌に尽くしがたい苦難の日々が続くと思われます。当寺としても縁ある人々と輪を拡げ、微力ですができることからお手伝いできればと考えています。
 寺内においても9月より新しい取り組みを始めます。「正善寺食堂」と「正善寺カフェ」です。
 本院のある日々地区は、人口減少・超高齢化が進み、地域にとって大切なお店が次々と消えていきました。今話題の「こども食堂」をヒントに住職より「としより食堂」の店名を提案すると仏教婦人会に一蹴されました。かくして「正善寺食堂」としてオープンの運びとなりました。運営はもちろん仏教婦人会、料理上手のベテラン仏婦の皆さんが主役です。「正善寺カフェ」は衆徒の須崎先生と息子がマスターです。多くの人が集い、笑いの絶えないおしゃべりがバクハツ、楽しく賑やかな時間となるでしょう。
 今、岡山では「おまち堂」というかき氷屋さんに大行列ができています。「おまち堂」を昔から知っている人に、元は青果店だったことを聞いてビックリしました。青果店ならではの新鮮でおいしいフルーツをふんだんに使ってかき氷のお店として大ブレイクしたのです。
 正善寺も自分たちのもつチカラを最大限に生かし、お寺の枠を越えた新しい試みで、地域の人々を笑顔をにできるよう挑戦し続けたいと思います。
 いつの日か「正善寺ってお寺だったの?!」といわれる日が来るかも…

麦わら帽子

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 7月

 私たちは健康については大変関心があるようです。健康食品やサプリメント、健康器具などのCMや健康法についてのテレビ番組など、頻繁に目にします。もちろんその根底には「死にたくない」「永く生きたい」といった願望があるのでしょうが、生死(しょうじ)について語られることはほとんどありません。「生」とは何か?「死」とは何か?に目を向け、いかに生きるべきかを考えることも大切なことではないでしょうか。いのちがいくらあっても生きがいが無いのでは困りますものね。
 今ここに存在する人々、それぞれのいのちは自分自身が望んで生じたいのちではありません。時代も場所も親も選ぶことはできません。そしていのちには様々な制約があります。

 1.反復することができない
 2.私に代わる者がいない
 3.必ず終わりがある
 4.いつ終わるかわからない

 私たちは、二度と繰り返すことのできない、誰とも代わることのできない「生」を享けたら、必ず死んでいかねばなりません。それもいつ死ぬかわからない生命を生きているのです。より真剣に「生死」について学び、考えていく必要があるのではないでしょうか。
                                           南無阿弥陀仏

風鈴

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 6月

 インドのコーサラ国の王様が王妃に尋ねました。
「おまえにとって自分以上に大切なものはあるか?」
「いえ、ありません。私が一番大切です」
王は内心がっかりしました。「王様です」と言ってくれると思っていたからです。
王妃も聞き返しました。
「王様は自分以上に大切なものがありますか?」
王は答えました。「私が一番大切だ」
 王はすぐにブッダ(お釈迦様)を訪ね、そのことを話し「私は王妃の最も大切なものでありたかった」と言いました。
するとブッダは「世の中に自分が最も大切だと思わない者はいません。私もそうですよ」と答えました。王様は言いました。
「誰もが自分だけしか大切と思わない。そんな世界はおかしい」
ブッダは言いました。
「自分を大切にすることと自分だけを大切にすることは全く別のことです」
王は考えました。
(確かに違う…。王妃はその違いをわかっていて返事をしたのかもしれない…)と
ブッダは言葉を続けます。「自分自身が一番大切だと思っている人々が集まって私たちの世界があるのです。自分が大切だからこそ、誰もが自分を一番大切にしていることを知り、自分を支えてくれる人や愛してくれる人、自分を幸せにしてくれる人々を大切に思えるのですよ」
 王は自分の傲慢さに気づき、愛しい王妃の待つ王宮へと帰路を急ぎました。

 

紫陽花とかたつむり

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 5月

 NHKおはよう日本で紹介された松本健也さん(25歳)は、程度の重い聴覚障害があり、補聴器がないとほとんど音が聞こえません。小さい頃からの夢はバスの運転手になることでしたが、その頃補聴器が必要な人はバスの営業運転免許を取ることができませんでした。そこで、松山さんが目指したのはトラックの運転手。聴覚に障害があっても大型免許は取得できるからです。
 一昨年、トラック運転手として働く松山さんに転機が訪れました。 2016年に免許制度が改正され、警音器の音が補聴器をつけて聞こえれば、免許を取れるようになりました。松山さんは無事免許を取得しバス会社への就職を希望しました。4社の採用試験を受けましたが全部ダメでした。安全面や緊急対応への不安が不採用の理由でした。  それでも就活を続け、昨年の秋、今のバス会社に就職することができました。  会社は緊急時対応のため、運転手2人で運行することにしました。
 一方で課題も見えてきました。手話が通じないため、乗客とのコミュニケーションのきっかけをつかむことができません。松山さんは、同じ聴覚障害者が営む理髪店を訪れ、店主の森崎さんから最高の笑顔でお礼を言うことを学びました。
 今、路線バスを運転している松山さんですが、この秋には、小学校の遠足を任される予定です。聴覚障害を乗り越えて夢を叶え、笑顔で頑張る姿はきっと子どもたちの心に大切な事を届けることでしょう。

金太郎

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 4月

 日本の仏教には異なる宗旨があるのはなぜでしょう。
それは、それぞれの宗祖が「自分にはこのお経が一番だ」と選んだお経が違うからなのです。
 なぜいろいろなお経があるのでしょうか?
お経は釈尊がされた説法なのです。そしてその説法は「対機説法」といい、聞く人の能力や素質に応じて説かれたものだからなのです。
 人はそれぞれ性格も考え方も歩んできた人生もすべて違います。何に悩み何に苦しむかも千差万別です。すべてが違う人々、その一人ひとりの不安や苦悩を取り除き、心安らかに生きていけるよう導くため数多くのお経があるのです。
 宗祖親鸞聖人は、燃えさかる煩悩をかかえて生きることしかできず、悟りにほど遠い自身に悩み苦しみました。そしてついに行き着いたお経が「仏説無量寿経」でした。このお経にはアミダ仏のご本願が説かれていました。すべての衆生はその能力や素質に関係なくただ念仏するだけで皆平等にお淨土へ往生するとアミダ仏が誓ってくれていたのです。聖人は「これこそ私のために説かれたお経だ」と喜び、このお経を人生の依り所とされお淨土への道を歩まれたのです。
                                              南無阿弥陀仏

菜の花

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 3月

 先月、葬儀社より葬儀を依頼されました。疎遠であったご当家の意向と言うより故人の仕事の関係者や友人が多く、多数の会葬者が予測され、お寺さんがいないと体面が良くないとの話でした。お通夜に伺うと小さな会場でしたが、なるほど大勢の方がお越しでした。
 控え室に案内され、しばらくすると葬儀社の方が喪主の娘さんを連れて挨拶に入って来られました。お父様のことを伺うとあまり会っていないとの事で「よろしくお願いします」と素っ気ない様子で、退室して行かれました。葬儀社の話だと40年程前に離婚され、今回ご親族は九州から岡山に来られたそうで、二人の娘さんには元気な小学生くらいのお子さんがそれぞれ2〜3人いらっしゃいました。
 お通夜のお勤めのあと、葬儀の意味や親の思いについてお取り次ぎをさせていただきました。娘さんの目から涙がこぼれ落ちました。
 翌日、葬儀のお勤めが終わり控え室で待っていると襖一枚隔てた隣室で、喪主である娘さんが出棺に先立ち挨拶される声が聞こえてきました。型どおりのお礼が終わると言葉が途絶え嗚咽する様子が伝わってきました。そして、言葉に詰まりながら小学校の運動会の思い出を話されました。

「父と母が揃って参加してくれました。懸命に走る父の姿は、誰よりも一番カッコよく、私の誇りでした。父から一生懸命に生きることの大切さ、友の大切さを教えられました。」

 出棺の先導のため式場に入ると娘さんが近くに来られ、「本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられました。

 40年間離れて生きた父娘の想いが繋がった素敵なご葬儀でした。
実は、この葬儀はすべてお父様が大切にした仕事仲間や友が、亡くなったお父様のためにプレゼントされたものでした。

貝合せ

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 2月

 先日Aさんの三回忌法要が寺で勤修されました。寺との初縁は15年前、奥様を亡くされた時に始まりました。普通の会社員だったAさんですが、それは大変立派なお仏壇をお迎えし、病院に入院されるまでずっと毎月、奥様の命日のお参りをさせていただきました。本山にも分骨され、京都へも何度もご一緒させていただきました。ご法座にも熱心にお参りされ、大切な奥様の為、できることはすべてされたと思います。
 娘さんの手で本山に分骨されたAさんの三回忌法要は、奥様の十七回忌と一緒に県内に嫁がれた二人の娘さんとそのご家族のみで行われました。
 法要が終わってお灯明を消し、本堂から裏の会館へ向かうと、Aさんご家族がいらっしゃいました。てっきり車で帰られたとばかり思っていたので「食事に行かないの?」と尋ねると「そこのうどん屋さんに行きます」と答えが返ってきました。法要の会食にうどん?と思ったのと同時に「いつも父と一緒に食べたお店なので…」と言葉を続け、細い裏路地をご家族で歩いて行かれました。
 深い思いのつながる本当に温かく、ありがたいご法要でした。          南無阿弥陀仏

節分

  
  
  
  
  
  
  
  
  

2018年 1月

あけましておめでとうございます

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「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
              (ブッダのことば)

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「一度きりの尊い道を今歩いている」
              (東井 義雄)

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進君の勘定書き
一、市場に行きちん         十円
二、お母さんのあんまちん     十円
三、お庭のはきちん         十円
四、妹を学校に連れて行きちん  十円
五、婦人会の時のおるすばんちん 十円
                 合計 五十円
   お母さんへ   進

お母さんの勘定書き
一、高い熱が出てハシカにかかったときの看病代   ただ
二、学校の本代、ノート代、えんぴつ代     みんなただ
三、寒い日に着るオーバー代               ただ
四、毎日のおべんとう代                   ただ
五、進が生まれてから今日までのお世話代       ただ
                              合計 ただ
   進へ  お母さん
                   (下村 湖人の文章から)

羽子板